顎変形症の治療に辿り着くまでの色々

小学生の時の意地悪な同級生にでっぱブサイクロンって呼ばれていた。

 

 

 

 

成長と共にそこまで出っ歯ではなくなったので、すっかり忘れていたが、外見を気にするお年頃で歯並びが無性に気になり始めた。

そして、高校二年生の時に歯科矯正を始めようと歯科矯正クリニックへ。

 

そこで言われたのは、

「顎変形症だね。」

不謹慎だけど、健康そのものだった私は病気というものに憧れを持っていた。

予期せぬ知らない病名?に少し驚いたもののよくわからなかった。

しかし、顔面が左右非対称だと明らかな言葉で言われることは、思春期の女の子にはきつかった。

よく見たら、確かに顎が右へずれている。

 

笑えない。いろんな意味で。

ははは...........

 

 

その日から、自意識過剰に拍車がかかり、人前に出るのも嫌になって、マスクをするようになった。

とにかく治したいと思ったし、治療しようと思ったものの、家族に大反対された。確かに手術内容はとても想像できないほど難しそうだし、失敗例もたくさんネットには氾濫していた。

そして、何より心に残ったのは、「気になったことなんてない。元々そういう顔だったって思えばいいじゃない。」だ。

これは、とても私を思った言葉であったが、その時の私の感情はただただ悲しいだった。

確かに見た目以外にも、口を閉じた時に上と下の歯が合わさることはないし、顎の音もなっていた。気づいた時から、そうだったからわからなかった、気にしなかっただけだ。

そういう自分にしかわからない症状があって、治療をしたいと決断した私の思いは誰も応援してくれなかった。度々口論した。死ぬほどの病気ではないのになぜ手術するのか。私(母)だったら、親にもらった体を傷つけることなんてしない。今の若い人はそういう観念がないのね。整形だって平気でするし。って、何度も言われた。

とてもとてもきつかった。

外科治療を伴うか、伴わないかによって、矯正に保険がきくかきかないかが変わるために私は歯科矯正を始めることができないでいた。

もうどうしたら良いかわからなかった。

困ったとき私はいつも現状維持を試みる。

つまり、何もしなかったのだ。

病院から逃げた。

そして、何事もなかったように数年ほど生きた。

そして、今年気が付いた。顎がさらにずれていると。そして、顎の付け根?が痛くて、あくびができなくなった。他にももろもろやばい症状が出てしまった。

そして私は成長した。心が。

両親がとても私の事を思っていてくれたこと。とてもありがたいと思う。

しかし、もう一人で自分で自分を応援して、手術すると決めた。

見た目も治して、良くものを噛めるようになって自信を持ちたい。あの時から私の中にある自分の顔に対する恥ずかしい想いを負かした。もう、うつむいて笑うのはやめたい。

 

だから頑張りたい。

 

私よりもお医者さんの方が大変だな。

ははは。